芸北神楽団連絡協議会 |
長 尾 組 神 楽 団 | 田 尾 組 神 楽 団 | 雄鹿原上組神楽団 | 雄鹿原下組神楽団 | |||
苅 屋 形 神 楽 団 | 才 乙 旭 神 楽 団 | 川 小 田 神 楽 団 | 細 見 神 楽 団 | |||
小 原 神 楽 団 | 大 暮 神 楽 団 | 移 原 神 楽 団 | 高 野 神 楽 団 | |||
溝 口 神 楽 団 | 橋 山 神 楽 団 | 板 村 神 楽 団 |
長尾組神楽団 ( な が お ぐ み ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町西八幡原 | 団 創 設 年 | 天保時代初期 | |||
団 長 | 後 藤 洋 治 | 得 意 な 神 楽 | 鍾馗・比良坂 | |||
団長連絡先 | (0826)37-0838 | 練 習 期 間 | 一年中 | |||
団 員 数 | 15人 | 秋祭り等の日程 | 10月20日前後に例祭、11月中旬に 新嘗祭(同地区の田尾組と交互に奉納) |
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《神楽団紹介》 | 比較的少人数で、地元神社の四季折々の、お祭りや例大祭等における奉納 神楽を中心に活躍中である。 年1〜2回競演大会にも出演し、芸のレベルアップを図っている。 矢上系の囃子で塵倫・天神などを、また美濃系のゆったりとした六調子で 鍾馗・矢上姫などを舞分け、貴船・比良坂・猿田彦など、近頃はあまり 上演されない舞の伝承保存に努めるとともに、古のゆかしき手振り足取りが長く後生に残ることを願いながら、日々稽古精進を重ねている。 |
田尾組神楽団 ( た お ぐ み ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町東八幡原 | 団 創 設 年 | 170年位前(天保年間?) | |||
団 長 | 八 房 盛 顕 | 得 意 な 神 楽 | 塵倫、天神 | |||
団長連絡先 | (0826)37-0028 | 練 習 期 間 | 4月〜11月 | |||
団 員 数 | 20人 | 秋祭り等の日程 | 毎年の10月の例祭、11月の小祭り (同地区の長尾組と交互に奉納) |
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《神楽団紹介》 | ここ数年来、神楽に興味を抱いた若い人達が神楽団に入団し、 団員の新旧交代がなされている。 今日は、方々の競演大会に出場し、若い人達を中心に熱心に練習されて 団員の神楽に対する情熱が一層高まっています。 |
雄鹿原上組神楽団 ( お が は ら か み ぐ み ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町荒神原 | 団 創 設 年 | 明治初期(推定) | |||
団 長 | 冨 長 由 之 | 得 意 な 神 楽 | 特になし | |||
団長連絡先 | (0826)35-0805 | 練 習 期 間 | 4月から10月まで(重点的には8月以降) | |||
団 員 数 | 23人 | 秋祭り等の日程 | 9月の乙九日、10月最終土曜日 11月第1土曜日 |
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《神楽団紹介》 | 明治初期、島根県七条(現在の金城町)より伝承され、以来今日まで当時の舞方をそのまま受け継いでいる。 団員の減少などでこの間存続の難しい時季もあったが、昭和40年以降団員数も安定し現在は20名を越え、15演目が披露できる。 しかし儀式舞といわれる演目について、廃れつつあるものもあり、これの復活がこれからの課題である。 |
雄鹿原下組神楽団 ( お が は ら し も ぐ み ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町荒神原 | 団 創 設 年 | 明治初期 | |||
団 長 | 前 宝 作 | 得 意 な 神 楽 | 神武 | |||
団長連絡先 | (0826)35-0328 | 練 習 期 間 | 概ね毎週火曜日と金曜日 | |||
団 員 数 | 17人 | 秋祭り等の日程 | 11月第1土曜日 | |||
《神楽団紹介》 | 本神楽団の結成は定かではないが、明治初期と聞き及んでいる。 我々神楽団は、先輩各位から引き継いだままの所作、楽を演じている。 伝統ある郷土芸能としての神楽の姿を、次の世代に伝えるよう団員一同 努力している。 |
苅屋形神楽団 ( か り や が た ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町苅屋形(宮谷神社) | 団 創 設 年 | 明治10年頃 | |||
団 長 | 酒 井 忠 典 | 得 意 な 神 楽 | 塵倫、磐戸、矢旗、八岐大蛇 | |||
団長連絡先 | (0826)35-1109 | 練 習 期 間 | 1年中 | |||
団 員 数 | 20人 | 秋祭り等の日程 | 10月頃の秋祭り、他 | |||
《神楽団紹介》 | 本神楽団は、広島県の北西部芸北町苅屋形地区に、明治10年頃 創設されました。 舞の形式は石見神楽邑智系を原形とした優雅で重厚な六調子舞が、独自に変化し発展したものです。現在団員は20人で、先人の遺産である旧来からの儀式舞、能舞の習得に日々精進し技術の上達はもとより、神楽人としての精神修養にも努めています。 |
才乙旭神楽団 ( さ い お と あ さ ひ ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町才乙 | 得 意 な 神 楽 | ||||
団 長 | 市 川 由 和 | 練 習 期 間 | 8月中旬から11月中旬、土・水曜日の夜 (必要に応じて) |
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団長連絡先 | (0826)35−1115 | |||||
団 員 数 | 13人 | 秋祭り等の日程 | 毎年10月の第4土曜日。 夜来(ヨゴロ)の祭りに奉納 |
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団 創 設 年 | 明治初期 |
《神楽団紹介》 | 明治の初め頃、近郷(雄鹿原下組)より修得したとされているが、 古い口上本(台詞台本)には、金城町近辺の神楽とはいささか趣を更としており、どちらが変わって来たのか興味深いところである。 団員は少ないながら、先人の努力の跡を伝承すべく、出来るだけ旧来の舞方を変えまいと努力を続けている。 (現在は、広島市から2人の団員が帰郷しては練習をしている。) |
川小田神楽団 ( か わ こ だ ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町川小田 | 団 創 設 年 | 天保年間 | |||
団 長 | 冨 長 博 文 | 得 意 な 神 楽 | 岩戸、八つ花、胴の口明け | |||
団長連絡先 | (0826)35-0573 | 練 習 期 間 | 9月1日より10月の初旬まで | |||
団 員 数 | 14人 | 秋祭り等の日程 | 毎年10月の第1土曜日(秋祭り) | |||
《神楽団紹介》 | 14名と少人数ですが、郷土芸能神楽の伝承に団員一致団結して頑張っています。昔から続いている旧舞の形を変えずに間(ま)を舞うことを大切にしています。 |
細見神楽団 ( ほ そ み ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町細見 | 団 創 設 年 | 明治31年 | |||
団 長 | 河 野 正 宏 | 得 意 な 神 楽 | 四神、天神、塵倫、黒塚 | |||
団長連絡先 | (0826)35-0625 | 練 習 期 間 | 4月〜11月 | |||
団 員 数 | 18人 | 秋祭り等の日程 | 10月第4土曜日 23時より神楽奉納 | |||
《神楽団紹介》 | 明治30年に、雄鹿原村出身の三浦氏より技能の指導を受け、翌年に 「細見神楽団」を結成し、現在に至っている。 細見神楽団は、石見神楽系の六調子の旧舞で、原型を変えずに継承しています。郷土芸能の発展のため精進しています。何卒、暖かいご声援、ご指導のほどよろしくお願いします。 |
小原神楽団 ( こ ば ら ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町小原 | 団 創 設 年 | 享保元年 | |||
団 長 | 河 野 英 輝 | 得 意 な 神 楽 | 四神、神武、塵倫、弓八幡、天神 | |||
団長連絡先 | (0826)38-0353 | 練 習 期 間 | 秋祭りの前2ヶ月間位、週2日程度 | |||
団 員 数 | 12人 | 秋祭り等の日程 | 平成15年は、10月18日 | |||
《神楽団紹介》 | 小原神楽団は島根県矢上より、およそ280年前に教わり、今日まで 続けられている。 昭和61年に大元神楽が県の無形文化財に指定されている。 現在も大元神楽の系統を継ぎ7年ごとの式年祭には、大歳神社に、吉ヶ口の中州に祀られている大天神を迎え、六調子の神を盛大伝承している。 現在は少人数で団員ではあるが郷土芸能伝承のため一生懸命に練習に励んでいる。 |
大暮神楽団 ( お お ぐ れ ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町大暮 | 団 創 設 年 | 明治14年 | |||
団 長 | 上 本 敏 博 | 得 意 な 神 楽 | 尊神、神武、安達ヶ原 | |||
団長連絡先 | (0826)38-0623 | 練 習 期 間 | 9月〜11月 | |||
団 員 数 | 15人 | 秋祭り等の日程 | 平成15年は、10月26日(日) | |||
《神楽団紹介》 | 団員数15名の内、2名が女性団員である。年齢層は、20代から30代が12名で若い世代が多い。 活動としては、代々大暮に伝わる神楽の保存継承をするとともに廃れゆく神楽の掘り起こしにも努力している。秋祭りシーズンを中心に精力的に活動している。 |
移原神楽団 ( う つ の ば ら ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町移原 | 団 創 設 年 | 明治以前(天保5年) | |||
団 長 | 池 田 達 也 | 得 意 な 神 楽 | 神武、塵倫、八岐、関山 | |||
団長連絡先 | (0826)38-0439 | 練 習 期 間 | 町内開催イベント、秋祭り前後 | |||
団 員 数 | 12人 | 秋祭り等の日程 | 10月中旬から11月初旬 | |||
《神楽団紹介》 | 現在、移原神楽団使用の詞帳の台本は、島根県越智郡桜江町市山の神職平尾三千夫が保存されている神楽詞帳を書写されたものです。 移原元庄屋山本家に保存されていたものの末尾に天保5年申午穐初冬上旬写之とあります。この詞帳により、毎年上演していますが、詳しくはわかりません。その頃より発足したのではないかと思われます。六調子の旧舞を継承するべく励んでいます。また当神楽団は「和」をモットーにわきあいあいに活動を続けています。 |
高野神楽団 ( た か の ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町高野 | 団 創 設 年 | 明治初期 | |||
団 長 | 山 根 久 明 | 得 意 な 神 楽 | 七代、手草 | |||
団長連絡先 | (0826)38-0107 | 練 習 期 間 | 3月〜12月 | |||
団 員 数 | 17人 | 秋祭り等の日程 | 10月第2土曜日(秋祭り) | |||
《神楽団紹介》 | 高野神楽団は、明治以前、石見市木(イチギ)方面より伝承され現在に至り、 伝統ある郷土芸能を微力ながら次の世代に伝えていきたいと団員一同 頑張っています。どうぞご声援下さい。 |
溝口神楽団 ( み ぞ く ち ) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町溝口 | 団 創 設 年 | 明治中期 | |||
団 長 | 村 竹 久 司 | 得 意 な 神 楽 | 戻り橋、恵比須 | |||
団長連絡先 | (0826)38-0237 | 練 習 期 間 | 4月頃〜12月まで週2回 | |||
団 員 数 | 20人 | 秋祭り等の日程 | 11月2日(秋祭り) | |||
《神楽団紹介》 | 溝口神楽団の歴史をひもとくと明治中期に大朝町より石見系八調子を伝承されたのが初めてとされる。石見系八調子は芸北町内では大変珍しく、旧舞の中でも拍子舞ともにテンポが速く、また、舞の所作が多いのが特徴とされる舞方である。 昭和30年代には人材不足などの困難があったが先輩方の並々ならぬご努力にてこれを乗り越えられ、昭和42年には千代田町春木神楽団より新舞を習い現在では、新舞、旧舞ともに舞っている。 近年では、若い団員も徐々に増え地域の行事等神楽を披露する機会にも恵まれるようになってきたが、まだまだ未熟な神楽団であるので団員一同鍛錬に励むとともに古い舞の掘り起こしにも積極的につとめ40年ぶりに 「胴の口明け」「鈴鹿山」を秋祭りににて披露する運びとなった。 |
橋山神楽団 ( は し や ま ) (活動休止中) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町橋山(大歳神社) | 団 創 設 年 | 明治20年 | |||
団 長 | 斉 藤 弘 明 | 得 意 な 神 楽 | ||||
団長連絡先 | (082)879-7225 | 練 習 期 間 | 9・10月の毎週土曜日 | |||
団 員 数 | 8人 | 秋祭り等の日程 | 毎年10月最終土曜日 | |||
《神楽団紹介》 | 橋山神楽団は、明治20年石見の国矢上村より伝わったものであり、最初その伝承を受けたものは斉藤総三郎・斉藤安衛門等によって今日に至る。 橋山神楽団の現在の団員数は8名です。地元の団員3名と、広島方面から帰郷する5名です。毎年、橋山大歳神社の秋祭りの奉納神楽だけを舞うことにしております。9月に入ってから毎週土曜日に練習をして、10月の最終土曜日の秋祭りに神楽を奉納しています。 |
板村神楽団 ( い た む ら ) (活動休止中) | ||||||
住 所 | 広島県山県郡北広島町奥中原 | 団 創 設 年 | 昭和25年頃 | |||
団 長 | 佐々木昭元 | 得 意 な 神 楽 | 塵倫 | |||
団長連絡先 | (0826)35-1011 | 練 習 期 間 | 秋口 | |||
団 員 数 | 13人 | 秋祭り等の日程 | 10月第2土曜日 | |||
《神楽団紹介》 | 有志数名により創設。川小田神楽団に教えを請い活動を始めるものの、数年後に人手不足により休止状態となる。昭和45年活動を再開、奥中部落からも団員を迎え、10を越える演目を修得する。現在は小集落のため、人手不足に悩ませ続けられ、活動を続けている。 |
(2007年データ訂正)